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「やあ」
「うん?」
「さう、カワラケ、カワラケ云ひなさんな」
ふたたび相手の鞄にちらりと目をやりながら、練吉は半ば信じない風に訊いた。
わきから又誰かが冷かした。
患者の多くは近在の農夫達であつた。それは大体に於いて、開業以前に予想していた通りだつた。鈍のろい、ゆつくりした口調で声をかけながら、彼等はおづおづと高間医院の玄関を入つて来る。彼等は医者に診てもらふためにわざわざ河原町へ出て来るのではなかつた。農具とか種物とかを買ひに出て、ついでに立寄るのであつた。それで、彼等の病気はすでに治療の時期を失しているか、でなければ手のつけられない慢性のものが多かつた。
もう一度小学校の校庭まで辿り着いた時には、衣裳がくたくたになつたのと疲労し切つたのとで、行列をつくつて歩いている間に自然と現れていた共通の類似、あの正面を切つたまじめさが消え失せ、代りに日頃のそれぞれな持前が、尖つた顎だの鹿爪らしい顔つきだのいふものが今や歴然と姿を現した。まだ解散にならぬ前から気早やに冠をかなぐり取つた者もいたし、衣裳をぬぎにかゝつた者さへあつた。
宿の者はこういっただけで、その以上の説明を加えなかった。伊助の報告もそれで終った。
「誰かと思つたら――」
これが若し他人だつたら、或ひはかけがへのない一人息子でなかつたら、正文もいさぎよく結着をつけてしまつたらう。「道楽息子」――その一言で済むわけだつた。
ちょうどこの大火のあった時から二三年後ごになるでしょう、「お」の字町の「た」の字病院へ半之丞の体を売ったのは。しかし体を売ったと云っても、何も昔風に一生奉公いっしょうぼうこうの約束をした訣わけではありません。ただ何年かたって死んだ後のち、死体の解剖かいぼうを許す代りに五百円の金を貰もらったのです。いや、五百円の金を貰ったのではない、二百円は死後に受けとることにし、差し当りは契約書けいやくしょと引き換えに三百円だけ貰ったのです。ではその死後に受けとる二百円は一体誰の手へ渡るのかと言うと、何なんでも契約書の文面によれば、「遺族または本人の指定したるもの」に支払うことになっていました。実際またそうでもしなければ、残金二百円云々うんぬんは空文くうぶんに了おわるほかはなかったのでしょう、何しろ半之丞は妻子は勿論、親戚さえ一人ひとりもなかったのですから。
――「やあ、おいでなさい。わたし相沢です」